2013年10月21日月曜日

宮城のおいしい食材が集まる「ほっかむり市」



10月19日、土曜日、「ほっかむり市」に行ってみました。

やっぱり!
ほっかむりしてましたー。



「ほっかむり市(http://ameblo.jp/hokkaburi-japan/ ほっかぶりJAPANブログ)」は、2012年の11月から毎月第3土曜日(10:00~14:00)予定で開催されている「宮城のこせがれネットワーク※」のメンバーが毎月開催する軽トラ市です。
宮城産のこだわりの食材をお届けする。たいていどこも試食あり。
私もいくつか試食させていただきましたが、これが本当に美味いんです! 


あんまりおいしそうなのでいくつか買い物をしました。
まずは夜のお供にチーズ。
「ネノキチファーム」ここは、仙台市内唯一のチーズ工場。
できたてのクリームチーズを販売してます。

ほっかむりをして売りまくる代表の星野さん

ここでは、クリームチーズは「クリチ」とかわいいく呼ばれています。遅くに行ったのでもうだいぶ売り切れていたけど、少々味見させてもらいました。
「誘惑クリームチーズ」口の中でとろりとトロケ、そしてほのかな甘さが口の中に広がる。これにも誘惑されたけれ、結局「クリチバーニャカウダ」をいただき、頭の中は赤ワインになってしまいました。
県内ではどこでもてに入るというわけではないけれど、ウジエスーパー(長町店、美里店、中里店、岩出山、佐沼本店)及び、いくつかの店舗で販売しているそうです。
ネットでも購入できます。→http://nenokichi.com/






伊藤農場の伊藤竜太さん。
島豚KAZUGOROをつくっている。



KAZUGOROは奄美の島豚と秩父の黒豚を関根一五郎さんという方が大切に守ってきた品種だそうです。コクのある脂身を持つKAZUGORO、繊維が細かく、赤身が少ない。脂身が多い肉はビールを飲ませたり、あまり運動させないように調整して人為的につくられることが多いけれど、KAZUGOROは始めからそういう体質。

KAZUGORO、普段はこんな生活をしています。
排泄物を堆肥化し、お米やお野菜に栄養を循環させます。


最近はよっちゃん農場のタレとコラボ丼をつくって販売したそうです。KAZUGORO、他の豚が10~15頭生むところ、5頭くらいしか子どもを生まないし、肥育日数が他の豚だと5ヶ月のところ、1年はかかるとのこと。育てるのはとても難しいし、採算を合わせるのも難しいそうだ。でも、いいものを作りたいという熱意はこれからも消えそうにはない。
閉店前に出会ったのは東北大学農学部で農業経済、経営を学ぶ鎌田大地さん。



実家の農業を継ぎたいと思っている鎌田さんは登米市出身(話しを聞くと家から歩いて5分くらいのところ。)でした。
実家で、おじいさんは兼業農家、ご両親は農業には関わらず外にお勤めということです。家で農家を継ぎたいと言ったところ、「農業じゃ食えないからやめておけ」とおじいさんに言われ、「じゃあ、オレが稼げるようにしてやる!」と担架をきったとのこと。
後にはひけない状況に自分を追い込み、夢を現実化させる、らしい。
おじいさんは東和町の方に山も持っていて、将来は畜産も含め複合的な事業展開をしたいと夢を語ってくれました。
家も近いし、見守っていようと思います。



この「ほっかむり市」、おもしろいものが沢山あってこまる。でも、実は一番の人気は
そんな食べ物ではなく、ミニSL。子どもたち、何回乗っても飽きないみたいです。



 そして、本当に石炭で走ってる。

最後は、めずらしくほっかむりじゃない「魔女」発見。ハロウィーン用のパンプキンを買いました。



宮城のこせがれたち、これからの食をどう変えて行くのか、ずっと見ていたくなってきました。


by河崎



※「宮城のこせがれネットワーク」(以下、HPより http://www.miyagi-kosegare.net/about/)

少子高齢化、地方の過疎化が進み、「衣・食・住」といった地域を支える産業が衰退している現在。
地域の未来をつくる若き担い手=「こせがれ」たちを応援する つながり灯 が必要です。 こせがれ同士のネットワークを構築することで、将来に渡って学びあえる地域の「仲間」を増やす。 これからの地域を応援したい社会人・学生たちが集うことで、ともに未来をつくる「仲間」となる。 そんな仲間たちのコミュニティが、「宮城のこせがれネットワーク」です。





2013年10月13日日曜日

おらほの学園祭「養殖漁業部」(南三陸町)

去年から被災地でも頻繁に行われているオンパクの手法を使い、地域で特技を持った人がその特技を使って講座や見学会やその他諸々イベントを開催する。南三陸町でも「おらほの学園祭」の真っ最中。
10月6日(日)、その中の「養殖漁業部」に参加させてもらった。
講師は第七黄金丸の船長、阿部徳治さんだ。



早速、小船に乗り込む。子どもの頃よく川を渡っているとき落ちた。トラウマがよみがえる。でも、びちっと船をつけてもらってクリア。
ウニがそこら辺にいるが、今は採れない。


「囲みがね」と呼ばれる道具で海の底を見た。結構よく見える。これで見ながらうになどをとるらしい。




戸倉清水浜の内湾をまわったらいざ外湾へ。




船長室も見せてもらえるとのことなので、見に行った。
狭い船長室にところ狭しと機材が設置してある。レーダー探知機もあった、これだけで100万円かかるそうだ。
震災時、この船で沖にいた阿部さんは船を助ける為にそのまま沖に避難し、翌日陸に帰って来て呆然としたそうだ。









……交通手段としてのフェリーだとかは乗ったことがあるが、考えてみたら、漁船には乗ったことがなかった。
外湾の揺れにびっくり。そうそれは念頭にいれてなかった。
ちゃんと立てない。カメラがうまく持てない。水しぶきでノートがぬれる。カメラも汚れる。そして、気持ち悪くなる。
こんなに景色はいいのに。。。
うみねこが気持ち良さそうに波にのっていた。ありえない。






これは椿島。津波は土をえぐり、この島を飲み込もうとしたけど、タブノキがしっかり守った。そして、タブノキも枯れたり流されたりしなかった。





外から見るとつながっている海だけど、養殖場は、畑や田んぼのように区画整理されている。これはその印。



丸い浮き輪はワカメ、楕円の浮き輪はホタテがぶらさがっている。


うみねこはいつもいい気なもんだ。


まずはホヤから。
まだ小さくて食べれないけれど、ホヤには+と−がある。料理する時にはまず+をハサミで切って汁をだして−を切る。順番を間違えるとブファッと中身が出るそうだ。
ホヤはくせがあると苦手な人も多いそうだが、新鮮なものはホヤ好きには物足りないくらい臭みがないそうだ。
この戸倉には「タブの木」という直販所がある。ホヤの旬は夏だ。夏に行って、”かわいく”お願いするとさばいてくれろるそうだ。






その次はホタテ。かごに入っている。
まだ小さくてこれも食べるには早すぎるが、もう少し大きくなったら、それぞれ穴を開けられ、間を開けて海に吊るされる。
その方が生育がいいそうだ。それを「みみずり」という。











最後は牡蠣。あと10日程で解禁。
これは育ってるはず。と思ったら、出てきたのは昆布(?)やムール貝の塊。
それをバスバスたたくと中からカキが出てくる。こんなにムール貝に絡まれて大丈夫なのだろうか?



今回は新しく入れた機械の試しということで機会を動かした。何がどうなっているのかわからないけど、バリバリとれる。




帰り道、また揺れてきた気がした。しばらく落ち着いていたと思ったら、波の緩やかな内湾にいたらしい。波が荒い時には皆、内湾に避難するそうだ。確かにずいぶん違う。


陸に降り立った時はホッとした。たまには船もおもしろいけど、堅い陸の上に降り立つのも「いいね!」。







中を割ってみせてもらった。ブリブリ肥えた牡蠣が出てきた。でも、これは卵がまだいるそうだ。細かい線が入っている白い部分が卵、焼いて食べる分にはいいが、生で食べると普通はあたってしまうそうだ。

















でも、阿部さんの知り合いの漁師さんはもう何十年もそんな牡蠣を食べ続けているけど、全く元気だそうだ。卵を出したころが食べごろ。今年の牡蠣も豊かに育った。

間もなく解禁です!!








帰りは、カッパエビセンと柿ピーが出てきたので、おやつかと思ったら、うみねことこれで戯れるそうだ。みんな楽しそうに餌をやっていたけど、私はお腹が空いて1/3程自分ががいただいた。以前、伊里前の商店街で食べていたコロッケパンを取られたのでおあいこだと思う。








帰り道、また揺れてきた気がした。しばらく落ち着いていたと思ったら、波の緩やかな内湾にいたらしい。波が荒い時には皆、内湾に避難するそうだ。確かにずいぶん違う。









そして、到着。

船もいいけど、やはり、しっかり重力を感じられる陸はいい。




帰りは奥さんの民子さんに震災の後の話しなどを聞き、とろろ昆布をもらった。





話しの中で、こりこりしてうまいと本タコの話しになり、冷凍庫から出てきたのが、タコのわさびづけ。なぜか歌津の丸荒さん製だが、おいしそう。
買って帰った。

楽しかった! やっぱ知らないことを体験するのはおもしろい。

今度は自分で切った木で家を立てるワークショップ。日程的に難しいが、行きたい!


by 河崎

2013年9月23日月曜日

震災遺構

今、どんどん震災遺構が消えていこうとしている。


2011年5月の南三陸町志津川。現在残っているのは、防災対策庁舎と高野会館のみ。



 「国の復興推進委員会の中間報告(H24.9.28)において、「災害の記録と伝承」の重 要性が訴えられたが、記録の対象範囲や保存のあり方等、アーカイブに係る基本的な概 念について明確化されておらず、早急に検討すべき事項として指摘された。
特に、多くの人命が失われた震災遺構の保存のあり方について、関係者が受け入れ られるよう解決策が求められている。」
(「震災遺構に対する宮城県の考え方について」宮城県 震災復興・企画部 地域復興支援課ー平成24年11月30日発表)
これはほぼ一年前の報告であるが、1年が経過した今、国の方針は固まってきているのだろうか?

 9月9日、気仙沼市鹿折(ししおり)地区にうちあげられていた第18共徳丸の解体がはじまった。これに関しては市民アンケートの結果、半数以上が解体の方向に向いていたそうだ。

気仙沼市鹿折地区「第十八共徳丸」周辺(2013年9月12日)


 9月20日の河北新報には、南三陸町も防災対策庁舎の保存を断念したとの記事が書かれていた。正式発表は週明けになるそうだ。


 


  南三陸町の防災対策庁舎に関しては、遺構として残すことに賛否が激しく拮抗していた。今でもその状況は同じだろう。
 震災当時、町長をはじめとし、町の幹部職員を含む50数名が防災対策庁舎に居た。町民を災害から守るための緊急対策のためだ。その災害対策の拠点となるはずの場が、津波に流され、42名が犠牲になったという。個人の命がはかれるものではないというのはもちろんだろうが、町としての痛手も甚大だっだだろう。
 今でも、多くの人が防災対策庁舎跡を訪れている。その中には、そこで身内を亡くした人もいる。そこに立つと痛みが伝わってくる。写真や話しだけでは伝えきれない場とモノが持つ空間がそこにはある。南三陸町の防災対策庁舎跡が、他の震災遺構といわれるものとはまた違う重みを持っているのは確かだ。  
  それが、その解体決定の一番の理由として、国や県の補助がつかず予算の見込みがつかないから、というのはあまりにお粗末ではないだろうか? 町民の意向を尊重するというのは当然だと思うが、それは町に全てを投げ、放置するということでは無いと思う。


2011年7月25日@「3.11の経験から学ぶ体験交流会@南三陸」(全国子ども会連合会企画)

  上の写真は全国子ども会連合会の研修の中の南三陸町ジュニアリーダーチーム「ぶらんこ」によるツアーの一部だ。このツアーに参加した広島県から来ていたジュニアリーダーは広島に帰って、ラジオ出演、報告会の開催などで精力的に南三陸町で学んだことを伝えているという。
 広島には 「原爆ドーム」という原爆の遺構がある。第二次世界大戦後、原爆の傷跡を「伝えていく」という責務を負ってきた「広島」という地に原爆ドームが存在することにはどういう意味があるのか。

 この機会に「伝える」 ことの重要さと重みを私たち一人一人が考えなければいけないのだと改めて思う。
 また、これは町だけの問題にしてはいけないと思う。それを声にするのも私たちの仕事かもしれない。


by 河崎清美

2013年9月21日土曜日

FORTUNE宮城vol.7

 もう9月も下旬になった。
発行して送付等でバタバタしているうちにエコツアーカフェでのトークも終わった。時の経つのは本当に早い!!怖いくらい。
2011.3.11の震災から2年半が過ぎた。FORTUNE宮城の創刊から1年と4ヶ月が経とうとしている。今回のトークで、言いたい事が伝えられたとは決して言えないけれど、自分の中で振り返る機会にはなった。

 編集のノウハウもなければ、関わった経験もない自分が熱意だけで始めた創刊号。震災後に入ったボランティア活動で被災地の中と外をつなぐ立場だった経験から、事実を外に伝えたいと熱意だけで始めた。内と外をつなぐというのは創刊当初から思っていたことだが、少し変わってきたのが3号目からだった。巻頭のページには「ここで興ってくるものは、もしかすると、日本中、いや、世界中を変えることができるものかもしれない。」と書いている。既成のものが壊されたからこそできた隙間。今がチャンスと思っている人は多い。

 今、被災地の状況も常に変化している。震災直後の混沌はある程度整理され、生きていく為にそれぞれがそれぞれの立場で生き方を選び、決断しなければいけない時期にきている。被災地に残る人、故郷を離れ外に生活の場を決める人、新たに被災地に住むことを決意した人、震災で今までの仕事を閉じた人、震災がきっかけで起こした事業が波に乗った人、それぞれの方向へ向かう。地域的にも、それぞれ違った復興の仕方がある。交通の便のよいところと一日に数本しか無いバスを乗り継がなくては行けない場所では復興の速度も違う。地域性もある。
 
 それぞれの道をそれぞれが考えて進まなくてはいけない。

編集長 河崎清美


2013年8月26日月曜日

JCN現地会議@南三陸町

8月23日(金)JCNの第7回現地会議があった。
南三陸ホテル観洋で開催された。南三陸町では初めてではないだろうか。



テーマは
〜人が集まり、つながり、元気になる地域づくり〜
内容は言葉が伝える雰囲気よりも重かった。
全体を通して考えてみると、よそ者の役割、そして引き際というものを考える会だったように思う。


JCN宮城県担当の池座さんより、初めの挨拶で、「復興まちづくり」をテーマに、外から来た支援者が自分たちががやりたいところをやるのではなく、地域主体で地域づくりをしていかなければいけない、という話しがあった。
それは、繰り返し繰り返し、支援に入っている団体は自らに言い聞かせていることばである。しかし、ふと振り返ると、そうはなっていなかったりもする。

第二部で発表された事例、阪神・淡路大震災後のまちづくりを協議会を起こすところから地域住民の方と行ったが、10年後に様々な問題が噴出し、結局、協議会は解散した、という話しはなんだか身につまされるものがあった。

神戸 まち・コミュニケーションの宮定さんが事例を語る

今でも、長期滞在するボランティアに対して地元住民から疑問の声があがっているのを聞くこともある。ボランティアから地元住民になった人もいる。
いつまでやるのか、どこまで踏み込むのか。
「それを回避するためにどうしたらいいんでしょうか」という問いに対して、「それがわかっていればそんな状況にはならなかったでしょう」。つまり、答えは自分で見つけるしかない、ということなのだ。

FORTUNE宮城は、外への発信を目的にした情報誌だ。決して特定の地域のことを後押ししているわけではない。そんなよそ者目線を持つ情報誌がなんの為にいつまで必要なのか、地元に定着して、地元紙になることがあるのか。
自分自身に課題を突きつけられているような気になった。

by 河崎清美