2015年4月27日月曜日

春を楽しむ

2015年4月26日

宮城は春爛漫。
ゴールデンウイーク前ではあるけれど、春を楽しむ会が各地で開催されています。
「東北風土マラソン」は、フランスのメドックマラソン※に企画協力いただいて、2014年から始まったおたのしみマラソン大会です。

会場は大賑わい。晴天の下、会場では、皆、それぞれに楽しんでいました。 メイン会場の長沼フートピア公園だけでなく、その周辺地域もコースになるこのマラソンでは、沿道の人も近隣、親戚で集って宴会しながら、応援。時にはランナーがはまることも。

走る人は走る。
コスプレする人はコスプレ。
ピクニックを楽しむ人。
食もお酒も充実。
子どもも 宮城県の人気キャラと一緒に写真をとってお楽しみ!

人の楽しむ能力はすばらしい。






ちなみに、近くには「ヴィーナスの湯」という温泉もあります。

※【メドックマラソン】
赤ワインで有名なボルドー、メドック地方で、ぶどうの収穫直前の9月に開催されるフルマラソン。 仮装ランナーが、ぶどう畑の中に設定された1周コースを走る。 ステーションでは、ワイン、オイスターやステーキ、チーズ、ハムといった食を楽しめるポイントも設置され、マラソンはさながら広大なパーティー会場。


 by 河崎清美




2015年4月13日月曜日

活性化する林業@南三陸町


4月11日(土)、南三陸ポータルセンターにて、一般社団法人さとうみファーム主催の森と人と海の関わりについてのセミナー、「南三陸の豊かな海を活かす為に今必要なこと」が開催された。

始めの挨拶は南三陸町の材木屋「株式会社 佐久」の若き取締役、佐藤太一さん。
「(南三陸町で)いろんな林業スタイルが生まれて来て欲しい」、「いろんな林業が試せる場所になって欲しい」、「林業仲間が増えてくれると嬉しい」との言葉からは林業を開いたものにし、その可能性をさぐろうという熱い想いが伝わって来た。
佐藤太一さんは、森林ツアーや勉強会も開催し、森と人をつなぐ仕掛けづくりもしている


続いて前半は、NPO法人森は海の恋人副理事長の畠山信さんから山と海の関係性のお話。

山の栄養が海に流れていくので、山が豊かなら、海の生物も豊かになるという話しはよく聞くけれど、その理由は良く知らなかった。その秘密は食物連鎖。1kgの鰹が育つために元をたどると、1t(トン)の植物プランクトンが必要だというのを聞いた。その植物プランクトンが育つためには、光、水、栄養素(窒素、リン酸、カリウム)に「フルボ酸鉄」が必要だという。その「フルボ酸鉄」は海水にはなく鉄分は海水には含まれていない。山の腐葉土や湿地帯に含まれ、川や地下水から海に流れて行く。






NPO法人森は海の恋人 では、環境教育、環境保全、生物調査、環境調査と同時に森づくりも開催している。
その中でも、一番力をいれているのが、環境教育だそうだ。「自然環境は住んでいる人の心持ちで良くも悪くも変わる。」と畠山さんのお話。
津波の後、気仙沼湾には1mくらい油と水が合わさったような層があったそうだが、1年後にはきれいになっていたという。地形も変わったそうだが、悪いことばかりでもない。地盤沈下で、干潟ができ、新たなビオトープになったり、川に魚の隠れ場所が増え、ウナギも増えたという話しもあった。自然の力は偉大だ。

「先代の背中を見て育ったという畠山さんは子供達に恥ずかしくない
背中を見せたい」、「次世代が何かしたいと思った時、
”活動するための余地”を残したい」と語る畠山さん

続いてNPO法人土佐の森・救援隊理事長の中嶋健造さんから林業についてのお話を聞いた。最近、森にスポットをあてたイベントが各地でよく開催されている。考えてみれば、農業についての取組も本も沢山ある中、森林についてはあまり話されていなかったのが不思議だ。日本の国土の7割は森林だというのに。


日本が放置林だらけ。なぜそうなるかというと、「採算が合わない」からだ。日本の林業が低迷しているのは、国の施策が大規模集約化をすすめてきたからだという。所有者、または管理者自らが森に入らず、森林組合や一部業者に管理をまかせ、大型機械を使う林業は、作業道も広いものが必要になる。運営に膨大な作業と資金が必要となり、一度始めるとなかなか止められくなるという。国や県が補助金を投入してどうにか成り立っている。中嶋さんが薦めるのが「自伐型林業」。”自伐型林業”は、「森林経営・管理・始業を自ら行う林業(限られた森林の持続的管理と、その森林を離れず、その森林から毎年収入を得て行く林業)で、自立・自営の林業。所有と施業を極力近づけた小規模分散型、地域経営型林業」(中嶋さんのプレゼンテーションより)だという。

森の管理、森林経営は本来100年単位で考えるもの。50年に一度の伐採ではなく、持続性を重視した長期的森林経営を展開するには、企業経営よりも、家族経営、地域経営で管理する方が合っているという。その方が森に対する愛情も育まれ、目が行き届くことにもなる。機材も小型のもので充分であり、道幅も小さくので環境破壊も少ない。そして、収入も十分得られるので、国や県の補助金、つまり私たち市民の血税をつぎ込まなくてもよいのだ。

実際にNPO法人土佐の森・救援隊の周辺での
成功事例を紹介する中嶋さん

木の伐採だけでなく、木材を使った製品づくりや、ノウハウを伝える体験教室なども取り入れ、森を包括的に活用しようとしている。実際、若者、女性も林業運営をし、やりがいと収入を得ている実例を紹介していただいた。

中嶋さんのお話の後の質問タイムでは、時間を過ぎても、地元の方から質問が相次ぎ、来場者もよい刺激を受けたようだった。

by 河崎清美

























2015年4月1日水曜日

「地域資源を活かす」藻谷浩介氏、南三陸町で語る


3月21日、南三陸町ポータルセンターで開催された藻谷浩介氏の講演に行って来た。
藻谷氏は「里山資本主義」の著者で地域エコノミスト。日本政策投資銀行参事役を経て現在、日本総合研究所主席研究員。長年、地域経済再生のために全国で提言を続けている。
全国の市町村、海外も59カ国訪問しているとのこと。それも繰り返し行かないと意味はないという
充実した資料収集、データの読込み、分析、そして自ら現地に赴き自らの目で見て確認した上ての話しは説得力があった。


今、日本経済が低迷しているのは、”循環・再生の不全”が問題だという。もう少し細かく言うと、少子化による社会の縮小、エネルギーの使い捨て、資本の停滞(貯蓄)、土地、建物利用の停滞など。



【地方は資源の宝庫】


 私たちは知らず知らずのうちに県外/国外産の安いものを求め、資金を県外に出しているのではないか、と問いかけられた。確かに、車を使えばガソリンを使う。電気を使えば、火力発電で油を使う。原子力発電で消費されるウランも輸入している。近年、パスタ、ワイン、小麦粉の消費量は増え、豆腐の原料の大豆や、家畜飼料も輸入していると聞く。間接的な消費も含め、食の面でも多いに海外に依存している。

 森林資源をうまく利用しているのがオーストラリアだという。年間で自然に再生される森林資源の70%を利用、エネルギーも補い、集成材に加工された建築材は、低層・中層建築に使われる。年間に1兆円弱の木材資源を輸出し、外貨を稼ぎ、林業は収入の高い職業として若者に人気があるという。

そう考えると、日本の里山は資源の宝庫だ。
日本の地方は、森林も、耕作できる土地もある。海に近ければ、海洋資源も豊富。しかし、その豊富な資源も活用する人材がいないと何にもならない。
企業の森として利用されている南三陸町の杉林




【人口減少は足下から】


 三陸沿岸部は震災で人が流出し、人口減に陥ったというが、では、震災が来ていなかったら問題はなかったのだろうか?答えは「否」。「国立社会保障・人口問題研究所」(http://www.ipss.go.jp/)の統計によると、南三陸町の場合、2010年に17,430人だった人口が2020年には14,450と予測されていた。そのうち65歳以上がしめる割合が、2010年には約30%、2020年は約35%だ。少なくなる総人口のなかで、高齢者の割合は増える。若者が仙台や首都圏の大都市へ出て帰ってこないという現象は震災後に始まったことではない。




 では、若年、働き盛りの若い年代が大都市に流入するのを大都市は良しとするべきなのかというと、それも「否」。東京都の場合、2010年に1,316万人だった人口が2020年には1,331万人になると予想されていた。総人口は増えているが、0-15歳、15-64歳の人口は減っている。つまり、65歳以上が増えるのだ。若い人が大量に流入する都市では、一時的には良くても、皆同時に歳をとる。高度経済成長期に人気だった団地がこぞって高齢化しているとも聞く。そんなものだろう。

 65歳以上の高齢化率が高いのが、札幌市、福岡市、広島市、仙台市などの政令指定都市や首都圏の大都市。現役世代が低いのは、一次産業を基幹産業にする地方ばかりかと思えば、意外と大都市に近い交通の便がよく、比較的暮らし易いと思われている町もそうなのだ。より便利な大都市に人は流れて行く。

 今、被災地では勉強会や体験ツアーなどで、伝統や文化をつなぐ活動や地域資源の再発見が活発におこなわれている。大震災のダメージを乗り越えて新たにつくられるまちはより力強いものになっていくだろう。


by 編集長 河崎清美





2015年3月12日木曜日

これからの5年目

東日本大震災から4年が経った。
昨日は各地で慰霊祭が開催された。被災地にゆかりのできた人々も足を運び、再開を喜びあい、ともに鎮魂の祈りを捧げた人も多かったのではないだろうか。

2015年3月11日、気仙沼にて3.11の光
(http://grapee.jp/33225)






メディアの注目も集まった。深夜、南三陸町の防災対策庁舎の前を通ると煌々と照らされ、報道陣が集っていた。
お祝いではないけれど、ある意味、3.11はハレの日であるだろう。

そして、一夜明けて今日、3月12日。昨日吹雪いていた雪もやみ、静かな朝を迎えている。
震災後5年目の日常。
気仙沼市付近の国道45号線(2015年3月11日)

登米市南方(2015年3月12日)

「震災が忘れ去られるのではないか」という不安な声は被災地でよく聞く。しかし、記憶は時が経つと薄くなるのは当然だ。
「3.11」という特別な日の役割も大きいと思うが、ケの日常の中にどれだけ震災の体験を活かしていくのか、は 更に大切でことではないかと思う。
この4年間、各地域は、新しい町づくりを水面下で進めて来た。それが、目に見える形であらわれてくるのがこの5年目だろう。ハード面の建物はもちろん、ソフト面での取組も活発に行われている。それらは、まちづくりの先行事例になるかもしれない。

by FORTUNE宮城 編集長 河崎清美





2015年3月10日火曜日

地域を見つめる

 最近、各地域で、わがまちを再発見しようというまちづくりの会が頻繁に行われている。沿岸部だけでなく、内陸部も、私の住む登米(とめ)市でも、わが町について考えよう、つながろうという集会がよく開催されている。

 3.11の震災時、登米市には多くのボランティアが入って来た。沿岸部が津波で破壊され、ボランティアが寝泊まりできるような場所が無かったためだ。私も、ボランティアの一人だったが、その地域の人には助けられた。野菜など多くの食材をいただき、お風呂を使わせていただき、地域のイベントに招待していただいた。

 登米市米川地区では、震災ボランティアでしばしば訪れていた奈良大学の講師とのつながりで、「米川 cool project」がはじまった。地域住民と奈良大学の学生とで、高齢化が進む米川地区をどうやったら盛り上げられるかを考えている。 ここでは、地域交流だけでなく、世代も立場も違う人々が集う。若者は、地域の伝統行事など体験したことが無い者も多く、祭りをつくりあげていくことでできる連帯感を体験していた。
 人口減少、少子高齢化、産業の衰退などなど、震災を契機にもともと抱えていた問題が噴出したが、それらは被災のひどい沿岸部だけの問題ではなかった。しかし、森林、田畑、広い土地、ゆったりした時間、都会には無い人のつながり、それらは全て地域資源である。よそ者の目線で地域を見るとさまざまな発見がある。

2015年、2月11日、登米市米川地区で、「みずかぶり」という年一度の祭りが開催された。詳しくはこちら→ http://miyagi-yonekawa.com/pickup/mizukaburi-2014/
火伏の祭りである「みずかぶり」は裸の男性が藁の衣装を着て、町中に水をかけながら火伏を祈願してあるく。その行事に合わせて、奈良からの大学生との交流会が開催された。

水かぶりには、よそ者がそれに入ると、火事が起こるという言い伝えがあり、学生たちは「体験」ということで、祭りが終わってから、藁の衣装を着て体験を楽しんでいた。


「みずかぶり」を突破口に
交流人口を増加できるのではないかという会話がはずむ。
地域の人からは、祭りの期間を延ばすとか、地域外の人も参加できるようにする等、
今までの規制を変える話しも出た。


そして、宴会での交流もつきもの。こういう席で、いつも聞けない話しが聞ける。
森林が多いに活用されていた時代の話し。森の恵みと海の恵みの交換と婚姻の話しなど
飲みながら、社会学の勉強もさせてもらう。

  祭りは地域の連帯感を強めるという役割も大きい。が、少子高齢化が進む集落/町では
今までのしきたりでは、祭りを維持していけないというのがどこでも直面している問題である。他地域からの応援を頼むというところもあれば、女子の参加を認めるところ、沿岸部では「契約会」というものが昔から存在する。地域を束ねる一つの組織であったけれど、ここら辺の地域では 契約講という組織が冠婚葬祭、祭り、家の新築、田植えなどを経堂行って来た。その契約港に入っている家の家督を継ぐもののみの参加だった地域も近年はそれ以外の立場でも参加できるようになってきているという話しをよく聞く。


登米地区でも、様々立場の人、年齢層の方がが集う会があった。
2015年3月9日@手のひらに太陽の家(登米)

つながれば、また新しいものが生まれてくる。個人レベルでの人と人のつながりはあっても、意外と隣で何が起こっているかは知らないものである。年代間のギャップもあるだだろう。それらがつながることで今までになかったものが生まれてくる可能性は大きい。
北上川を学ぶ会、フットサル、医療を考える会、うどんづくりの会、音楽系のグループ、個人的には商店主、建築業、農家、畜産業、公務員、年齢層も幅広い。
 首都圏で大手電化製品の小売り会社で販売の仕事をしていたけれど、震災を契機に帰って来たという若者にも出会った。
 今は、仲間とスケートボードを楽しんだり、教えたり、音楽コンサートの企画にも加り、生活は首都圏にいた頃より充実しているという。

3.11は日本中を震撼させた。あって当然だと思っていたものが無くなった。使えなくなった。
人との繋がりの大切さを再確認した。
 3.11の前から始まっていたことも、3.11後にはじまったこともあるだろう。でも、3.11が多クの人にいままでの自分を、地域を、振り返らせる機会になったのは確かだろう。失ったもの、壊れたものも沢山ある。だからこそ、無駄にはさせられない。

by河崎清美

2014年12月6日土曜日

南三陸町の林業・木材の可能性~人口減少に負けない復興~


FORTUNE宮城編集部 智恵です。
11月8日(土)に南三陸まなびの里『いりやど』さんで行われた
南三陸町の林業・木材の可能性~人口減少に負けない復興~
の、パネルディスカッションを見学してきました。

















意外と言ったら失礼かもしれませんが、会場に入ってみると
若い人が多かった印象を受けました。




















今回お話しいただいたパネリストの方は

●(株)佐久の佐藤太一さん

●丸平木材(株)の小野寺邦夫さん

●南三陸復興ダコの会の阿部忠義さん 

●コーディネーターの川廷昌弘さん


こちらの4名です。
まず私が思った素朴な疑問。。。
南三陸町って海のイメージないですか?
今回のフォーラムのテーマもですが、みなさんの口から
『南三陸を森から語る』というワードを何度か聞きました。
聞くところによると、南三陸は分水嶺に囲まれた町で杉の適地だそう。
海のイメージが強くありますが、南三陸の77%は森林なんです!!















【山と里と海とが川で繋がり、連環する町】
代々林業を営み、自分で12代目だという佐藤さんが
そうおっしゃいました。
この言葉ステキ♪気に入ってます♪
もっとお気に入りはこれ!!

『南三陸町 町民憲章』

海のように広い心で

魚のようにいきいき泳ごう

山のように豊かな愛で

繭のようにみんなを包もう

空のように澄んだ瞳で

川のように命をつなごう


大きな自然の手のひらに

抱かれている町 南三陸

う~んステキ♪地元愛を感じます。

【南三陸杉】というブランドで農林水産大臣賞をもらったのが
2011年3月1日。そのたった10日後に東日本大震災が発生。
あまりに多くのものを失い、悲しみに暮れる小野寺さんに
当時の佐久の代表(佐藤さんのお父さん)にこう言われたそうです。
「会社もなにもダメになったけど、森は大丈夫だから!」
「えっ!?」っと、この発言には驚いたけど「あぁ~・・・たしかに」
と、変に納得しちゃったそうです(笑)
今では、他のものにはない≪杉の良さとはなにか≫を追及し
 南三陸だけでなく、全国の杉にこだわる!!と意気込んでいました。




















私も知らなかった杉の意外な魅力。。。
みなさんにもぜひ知ってもらいたい!!

■光合成を行うことにより、二酸化炭素を吸収し酸素を放出することを繰り返す

■空気清浄効果

■軽くて強い

■調湿作用・殺菌作用

■免疫効果を高める

■杉の香りにはリラックス効果・安眠効果がある

■赤身材は水に強く、不朽性あり

■家に使うと、夏は涼しく冬はあったかい
 (杉は常に呼吸し、夏は湿気を吸収・冬は乾燥を外へ出してくれる)

などなど・・・杉ってとっても魅力的じゃないですか!!
ほんとこの仕事を始めて、色んな事を知ることができ
嬉しい反面、いかに自分が無知か思い知らされます。

最後にお話しいただいた阿部さんは
復興ダコの会以外にも、廃校になった中学校をリノベーションした
【Yes工房】の代表、そして入谷公民館の館長さんでもあります。
とてもユニークな方で、ダジャレ好き。笑
Yes工房の由来も『廃校工房』→『はい工房』→『Yes工房』
うん。ダジャレですね。決して嫌いじゃないです♪
そんな阿部さんもまた、震災で多くの物をなくした方の1人。
子どもの頃から物作りが好きで、夢だったモノづくり工房を
完成させ、夢が実現した2011年2月。
そのわずか1ヵ月後に震災が発生し、阿部さんの夢の工房は
津波によってめちゃくちゃに破壊されてしまいました。
計り知れないほど多くの物を失った阿部さんが
また立ち上がることができたのは、避難所での生活で
助け合って生きることの大切さを学び、多くの支援を受け
信頼できる仲間が、大きな力になったからだと言います。

『シャレでも言わなきゃ、やってられないって!!』

そう語る阿部さん。
阿部さんのダジャレは、そんな気持ちからきてるのかな?
そう思うと、少し悲しくなりました。

オクトパス君をはじめ、5を書く定規(合格定規)、オクトパシ(箸)
スレートde合格(ストレートで合格)などなど、まさに
シャレのきいたグッズを色々作ってらっしゃいます♪

≪笑いで社会を明るく元気にする新ビジネス≫
↳☆創シャレ・ビジネス☆

それが、阿部さんのモットーのようです。
















会場は終始、笑いの絶えないなごやかな雰囲気でした。
今回会場にいらした若い世代の方たちも、私と同じように
というか私の何倍も、考えさせられるところがあったでしょう。
「復興と木材」 こちらに参加するまでは
いまいちピンとこなかったこの2つの言葉。
でも3人のお話を聞いて、たくさんの可能性を感じることができました。
なにより、あの震災から立ち上がり【町のため】【復興のため】
情熱を燃やす方たちの心意気に私も胸が熱くなりました。
震災がもたらしたものは、全部が全部悪い物ばかりじゃない!!
あらためてそう思いました。



 
 

"こだわる"ということ~顔晴る男たち~


FORTUNE宮城編集部 智恵です。
11月21日(金) 平成26年度みやぎ地域づくり団体協議会
登米支部交流会(現地研修会)へ行ってまいりました。

バスに揺られること1時間半。塩竈市にある
【顔晴れ(がんばれ)塩竈】さんに到着。




















恥ずかしながら私、塩竈に来るのは初めてで
前日から楽しみすぎて、まるで修学旅行気分でした。
着いてみるとそこは、少し奥まった所にあり
気付かないで素通りしてしまいそうなほど
こじんまりとした建物でした。
私の想像していたのとは少し・・・いや、だいぶ違いました。
そして今回お話ししていただいた、及川さんですが・・・

真ん中にいるのが及川さん♪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これまた私の想像とは少し・・・
いや!!!だいぶかけ離れたコワモテな方。
いい意味で予想を裏切られ、先制パンチをくらった私は
ますますワクワクしてしまいました。
中に入ると・・
 
こんな感じで、大きな釜があります。
そして、なんとも独特なニオイがします。
焦げ臭いともまた違う、不思議なニオイ。
こちらの【顔晴れ塩竈】さんは、昔ながらの製法で
藻塩を作っている会社です。9年前、起業家たちの集まる会議で
「塩竈は塩の聖地でありながら、ご当地の塩がないのはおかしい!!!」
と言われ、サンプルを作り料理屋さんやお菓子屋さんに
配ったところ、好評だったのをきっかけに始まった。
2009年4月10日の火入れは、多くのメディアが報じたという。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
塩竈は昔から塩づくりがさかんで、3000年前の縄文集落が
発掘されたとき、塩を作ったとみられる土器【製塩土器】が
発見されたほど。その歴史は神代までさかのぼり
塩土老翁神という神様が現地の人に製塩を教えたとか。
塩土老翁神は鹽竈(しおがま)神社にいる神様の一人で
海の神様であると同時に、安産の神様でもあるという。
潮の満ち引きが、生命の誕生に関係があるのではないか
というところかららしい。
鹽竈神社では毎年7月4日~6日に【藻塩焼神事】を行い
それは奈良時代の塩づくりを伝える貴重な神事として
宮城県無形民俗文化財に指定されています。



























ちなみに、この藻塩焼神事で使われている≪神釜≫ですが
日本三奇の一つで、様々な伝説があるようです。
中の海水は、どんな日照りの時でも枯れることがなく
また大雨や台風でも水が溢れることはない。
そして、この神釜の中に入っている海水は
大異変の前触れとして、必ず色が変わるといいます。
あの東日本大震災のときも、色が変わったとか。
まさにミステリーゾーン・・・。
塩竈と塩。ここまで深い関係があったとは知らなかった。
そして、水と同じくらい塩も生きていく上で
必要不可欠だということを初めて知った。

『昔は塩とお金が同じ価値だった。』

この言葉にも納得できる。

 



煮詰めた塩をすくいあげる作業を体験させてもらいました。
シャリシャリでシャーベットみたいだった。

手間ひま惜しまず作るこちらの塩はなんと1㌔4600円以上!



特大サイズの塩の結晶!!




















贅沢に、ゆで卵につけていただきました。





















素人の私でもわかるくらい、おいしさが違います。
しお辛くないといいますか、まろやかといいますか・・・。
うまく言葉で表現できないのが悔しい・・・。

こちらの顔晴れ塩竈さんも、震災・津波の被害にあいました。
津波が去り、及川さんがようやく店を見に行くと
店の中には神棚と釜しか残っていなかったそうです。
しかし及川さんは
「神様が神棚と釜と残してくれた!!」
そう思ったそうです。
津波は、神棚のわずか1センチ下でピタリと止まっていました。
「やめるわけにいかない!!」そう思わずにはいられなかったようです。

























「このスタイルじゃなくても塩はできるんですよね?
津波の被害もあったのに、やめようと思ったことないんですか?」

私のこの質問に及川さんは「ありません!!」
間髪入れずに、そうおっしゃいました。
震災後いろいろなところから、塩を作る機械や物資の支援が
あったそうですが、すべて断ったそうです。

「このやり方じゃなきゃ意味がないんです!」

「神棚と釜を残してくれた神様に怒られます!」

心底かっこいいと思った。
「~にこだわって」とかよく聞くけど、こんなにも強い
≪こだわり≫を感じたのは初めてだった。




















こういう機会がなければ、一生知ることはなかったでしょう。
藻塩にこめられた、職人の情熱と心意気を。
たかが塩。されど塩!!
帰りに、小さな袋に入ったこちらの塩をもらった。
大事に食べようと思う。
できれば高級なステーキとかに使いたい。無理だけど。
及川さんの話し方は独特で、私はだいぶ引き込まれてしまった。
また今度遊びに行きたい。
できれば真夏の汗だくの作業風景を見たいと思った。