FORTUNE宮城編集部 智恵です。
11月21日(金) 平成26年度みやぎ地域づくり団体協議会
登米支部交流会(現地研修会)へ行ってまいりました。
バスに揺られること1時間半。塩竈市にある
【顔晴れ(がんばれ)塩竈】さんに到着。
恥ずかしながら私、塩竈に来るのは初めてで
前日から楽しみすぎて、まるで修学旅行気分でした。
着いてみるとそこは、少し奥まった所にあり
気付かないで素通りしてしまいそうなほど
こじんまりとした建物でした。
私の想像していたのとは少し・・・いや、だいぶ違いました。
そして今回お話ししていただいた、及川さんですが・・・
これまた私の想像とは少し・・・
いや!!!だいぶかけ離れたコワモテな方。
いい意味で予想を裏切られ、先制パンチをくらった私は
ますますワクワクしてしまいました。
中に入ると・・
こんな感じで、大きな釜があります。
そして、なんとも独特なニオイがします。
焦げ臭いともまた違う、不思議なニオイ。
こちらの【顔晴れ塩竈】さんは、昔ながらの製法で
藻塩を作っている会社です。9年前、起業家たちの集まる会議で
藻塩を作っている会社です。9年前、起業家たちの集まる会議で
「塩竈は塩の聖地でありながら、ご当地の塩がないのはおかしい!!!」
と言われ、サンプルを作り料理屋さんやお菓子屋さんに
配ったところ、好評だったのをきっかけに始まった。
2009年4月10日の火入れは、多くのメディアが報じたという。
塩竈は昔から塩づくりがさかんで、3000年前の縄文集落が
発掘されたとき、塩を作ったとみられる土器【製塩土器】が
発見されたほど。その歴史は神代までさかのぼり
塩土老翁神という神様が現地の人に製塩を教えたとか。
塩土老翁神は鹽竈(しおがま)神社にいる神様の一人で
海の神様であると同時に、安産の神様でもあるという。
潮の満ち引きが、生命の誕生に関係があるのではないか
というところかららしい。
鹽竈神社では毎年7月4日~6日に【藻塩焼神事】を行い
それは奈良時代の塩づくりを伝える貴重な神事として
宮城県無形民俗文化財に指定されています。
ちなみに、この藻塩焼神事で使われている≪神釜≫ですが
日本三奇の一つで、様々な伝説があるようです。
中の海水は、どんな日照りの時でも枯れることがなく
また大雨や台風でも水が溢れることはない。
そして、この神釜の中に入っている海水は
大異変の前触れとして、必ず色が変わるといいます。
あの東日本大震災のときも、色が変わったとか。
まさにミステリーゾーン・・・。
塩竈と塩。ここまで深い関係があったとは知らなかった。
そして、水と同じくらい塩も生きていく上で
必要不可欠だということを初めて知った。
『昔は塩とお金が同じ価値だった。』
この言葉にも納得できる。
煮詰めた塩をすくいあげる作業を体験させてもらいました。
シャリシャリでシャーベットみたいだった。
手間ひま惜しまず作るこちらの塩はなんと1㌔4600円以上!
贅沢に、ゆで卵につけていただきました。
素人の私でもわかるくらい、おいしさが違います。
しお辛くないといいますか、まろやかといいますか・・・。
うまく言葉で表現できないのが悔しい・・・。
こちらの顔晴れ塩竈さんも、震災・津波の被害にあいました。
津波が去り、及川さんがようやく店を見に行くと
店の中には神棚と釜しか残っていなかったそうです。
しかし及川さんは
「神様が神棚と釜と残してくれた!!」
そう思ったそうです。
津波は、神棚のわずか1センチ下でピタリと止まっていました。
「やめるわけにいかない!!」そう思わずにはいられなかったようです。
「このスタイルじゃなくても塩はできるんですよね?
津波の被害もあったのに、やめようと思ったことないんですか?」
私のこの質問に及川さんは「ありません!!」
間髪入れずに、そうおっしゃいました。
震災後いろいろなところから、塩を作る機械や物資の支援が
あったそうですが、すべて断ったそうです。
「このやり方じゃなきゃ意味がないんです!」
「神棚と釜を残してくれた神様に怒られます!」
心底かっこいいと思った。
「~にこだわって」とかよく聞くけど、こんなにも強い
≪こだわり≫を感じたのは初めてだった。
こういう機会がなければ、一生知ることはなかったでしょう。
藻塩にこめられた、職人の情熱と心意気を。
たかが塩。されど塩!!
帰りに、小さな袋に入ったこちらの塩をもらった。
大事に食べようと思う。
できれば高級なステーキとかに使いたい。無理だけど。
及川さんの話し方は独特で、私はだいぶ引き込まれてしまった。
また今度遊びに行きたい。
できれば真夏の汗だくの作業風景を見たいと思った。
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