2015年3月12日木曜日

これからの5年目

東日本大震災から4年が経った。
昨日は各地で慰霊祭が開催された。被災地にゆかりのできた人々も足を運び、再開を喜びあい、ともに鎮魂の祈りを捧げた人も多かったのではないだろうか。

2015年3月11日、気仙沼にて3.11の光
(http://grapee.jp/33225)






メディアの注目も集まった。深夜、南三陸町の防災対策庁舎の前を通ると煌々と照らされ、報道陣が集っていた。
お祝いではないけれど、ある意味、3.11はハレの日であるだろう。

そして、一夜明けて今日、3月12日。昨日吹雪いていた雪もやみ、静かな朝を迎えている。
震災後5年目の日常。
気仙沼市付近の国道45号線(2015年3月11日)

登米市南方(2015年3月12日)

「震災が忘れ去られるのではないか」という不安な声は被災地でよく聞く。しかし、記憶は時が経つと薄くなるのは当然だ。
「3.11」という特別な日の役割も大きいと思うが、ケの日常の中にどれだけ震災の体験を活かしていくのか、は 更に大切でことではないかと思う。
この4年間、各地域は、新しい町づくりを水面下で進めて来た。それが、目に見える形であらわれてくるのがこの5年目だろう。ハード面の建物はもちろん、ソフト面での取組も活発に行われている。それらは、まちづくりの先行事例になるかもしれない。

by FORTUNE宮城 編集長 河崎清美





2015年3月10日火曜日

地域を見つめる

 最近、各地域で、わがまちを再発見しようというまちづくりの会が頻繁に行われている。沿岸部だけでなく、内陸部も、私の住む登米(とめ)市でも、わが町について考えよう、つながろうという集会がよく開催されている。

 3.11の震災時、登米市には多くのボランティアが入って来た。沿岸部が津波で破壊され、ボランティアが寝泊まりできるような場所が無かったためだ。私も、ボランティアの一人だったが、その地域の人には助けられた。野菜など多くの食材をいただき、お風呂を使わせていただき、地域のイベントに招待していただいた。

 登米市米川地区では、震災ボランティアでしばしば訪れていた奈良大学の講師とのつながりで、「米川 cool project」がはじまった。地域住民と奈良大学の学生とで、高齢化が進む米川地区をどうやったら盛り上げられるかを考えている。 ここでは、地域交流だけでなく、世代も立場も違う人々が集う。若者は、地域の伝統行事など体験したことが無い者も多く、祭りをつくりあげていくことでできる連帯感を体験していた。
 人口減少、少子高齢化、産業の衰退などなど、震災を契機にもともと抱えていた問題が噴出したが、それらは被災のひどい沿岸部だけの問題ではなかった。しかし、森林、田畑、広い土地、ゆったりした時間、都会には無い人のつながり、それらは全て地域資源である。よそ者の目線で地域を見るとさまざまな発見がある。

2015年、2月11日、登米市米川地区で、「みずかぶり」という年一度の祭りが開催された。詳しくはこちら→ http://miyagi-yonekawa.com/pickup/mizukaburi-2014/
火伏の祭りである「みずかぶり」は裸の男性が藁の衣装を着て、町中に水をかけながら火伏を祈願してあるく。その行事に合わせて、奈良からの大学生との交流会が開催された。

水かぶりには、よそ者がそれに入ると、火事が起こるという言い伝えがあり、学生たちは「体験」ということで、祭りが終わってから、藁の衣装を着て体験を楽しんでいた。


「みずかぶり」を突破口に
交流人口を増加できるのではないかという会話がはずむ。
地域の人からは、祭りの期間を延ばすとか、地域外の人も参加できるようにする等、
今までの規制を変える話しも出た。


そして、宴会での交流もつきもの。こういう席で、いつも聞けない話しが聞ける。
森林が多いに活用されていた時代の話し。森の恵みと海の恵みの交換と婚姻の話しなど
飲みながら、社会学の勉強もさせてもらう。

  祭りは地域の連帯感を強めるという役割も大きい。が、少子高齢化が進む集落/町では
今までのしきたりでは、祭りを維持していけないというのがどこでも直面している問題である。他地域からの応援を頼むというところもあれば、女子の参加を認めるところ、沿岸部では「契約会」というものが昔から存在する。地域を束ねる一つの組織であったけれど、ここら辺の地域では 契約講という組織が冠婚葬祭、祭り、家の新築、田植えなどを経堂行って来た。その契約港に入っている家の家督を継ぐもののみの参加だった地域も近年はそれ以外の立場でも参加できるようになってきているという話しをよく聞く。


登米地区でも、様々立場の人、年齢層の方がが集う会があった。
2015年3月9日@手のひらに太陽の家(登米)

つながれば、また新しいものが生まれてくる。個人レベルでの人と人のつながりはあっても、意外と隣で何が起こっているかは知らないものである。年代間のギャップもあるだだろう。それらがつながることで今までになかったものが生まれてくる可能性は大きい。
北上川を学ぶ会、フットサル、医療を考える会、うどんづくりの会、音楽系のグループ、個人的には商店主、建築業、農家、畜産業、公務員、年齢層も幅広い。
 首都圏で大手電化製品の小売り会社で販売の仕事をしていたけれど、震災を契機に帰って来たという若者にも出会った。
 今は、仲間とスケートボードを楽しんだり、教えたり、音楽コンサートの企画にも加り、生活は首都圏にいた頃より充実しているという。

3.11は日本中を震撼させた。あって当然だと思っていたものが無くなった。使えなくなった。
人との繋がりの大切さを再確認した。
 3.11の前から始まっていたことも、3.11後にはじまったこともあるだろう。でも、3.11が多クの人にいままでの自分を、地域を、振り返らせる機会になったのは確かだろう。失ったもの、壊れたものも沢山ある。だからこそ、無駄にはさせられない。

by河崎清美