2013年6月19日水曜日

「震災リゲイン」訪問

探索、金策の旅@TOKYO-10日間の最終日は「震災リゲイン」の事務所を突撃訪問。
場所は東麻布。住宅街のど真ん中。子供が路を占拠して遊んでいる。

実はあまり時間がなかったので「さっくり挨拶だけ」と思っていたのだが、代表の相澤さんもいらして、とても親切に対応してくださった。

震災リゲインプレス 第4号


『震災リゲインプレス』は年に4回、季刊で発行されている紙媒体。現在全国に4万部無料での配布を実施しているが、その他にwebでの情報発信、被災地と支援者をつなぐコーディネイト、雇用創出、常時における震災に対する備えの促進と継続の呼びかけと実践も行っている。

シンプルかつ明確。運営のノウハウも伝授していただいた。
そして、名前は知っていたけど、詳細は知らなかった「震災リゲイン」。実は共通の知り合いも大勢いた。

これからいろんなことで協力できそう。
震災後2年以上たった今、いろんなことがつながって来ている。がむしゃらに動いてきたけど、種まきの時期でもあったのだろう。

自分でいうのも何だけど、これからの展開が楽しみだ。

河崎(FORTUNE宮城編集長)/相澤さん(震災リゲイン代表)/塩本さん(Women's Eye副代表)
※NPO法人Women's EyeはFORTUNE宮城の制作を全面的に協力してくれています。

建築家であり、映画プロデューサーでもある相澤さんの
オフィスはお洒落で効率よくつくられている。

2013年6月17日月曜日

犬と猫と人間と2ー動物達の大震災@ユーロスペース

 FORTUNE宮城vol.5で監督インタビューを掲載した「犬と猫と人間と2ー動物達の大震災」を観に行った。そして、考えてしまった。犬や猫が人の友達として、家族として大切にされているという話しはよく聞く。私自身は、動物嫌いではないが、”ペット”に関しては複雑な思いをもっている。でも、この映画はそんなものを超えていた。


 初めは猫や犬と人が震災を期に家族として結ばれたり、引き裂かれたりする姿を追う場面から福島で放置されたペットや家畜を救出する様子へと展開していく。野に放たれた肉牛がまるで元からそうだったようにのどかに草を食べてるかと思うと、おびえながらも餌にむしゃぶりつく犬や猫たち。そしていたる所に動物の死骸が転がる。放置された牛舎に広がるミイラ化した屍や骨はまだしも、糞尿にまみれながら生死の堺にいる牛。涙を流している牛もいる。「牛が涙を流すというのを初めて知った。」監督のナレーションがはいる。
 福島第一原発二十キロ圏で被ばくした牛の世話を続けている「希望の牧場・ふくしま」の代表、吉沢正己さんは、「誰も間違ってはいない」という。放射能汚染を避けて、避難した人、近隣を荒らすと言われながら牛を野に放った人、殺処分を決めた人、自らも被爆し続けながら被爆した牛を飼育し続けている吉沢さん、それらに正解は無い。希望の牧場でも人手が足りず、力の弱い牛はやせ衰えていく。家畜としての価値がない牛をいつまで飼育できるのか、それが不可能になった時どうするのか、先は見えない。
 ”人間の尊厳”という言葉はよく聞くが、経済動物には尊厳は無いのだろうか。愛玩動物にしても、経済動物にしても、人から餌をもらって生きるように作られてきた動物に対して、私たちは責任は無いのだろうか。答えをすぐ出せるわけではないけれど、問い続けることは必要だ。自分がその場にたったらどうするのだろう?
 この映画は動物愛護を訴えるものではなく、人に「生き物としての尊厳」とは何かを問う映画ではないかと思う。



 
 なかなか重い映画ではあったけれど、終わったあと、宍戸監督の挨拶があった。監督はきわめて爽やかな好青年。着ぐるみ「原発ゼロノミクス」のキャラクター、ゼロクマくんもが出て来て、来ていたこどもも「顔がみえるー」「9歳だって!」となんだか、あけすけな言葉が出ていた。親に連れられて来ているこどもたちは、原発だとか、尊厳がどうだとか言われてもよくわからないだろう。彼らがその意味がわかる頃には何か変わっているだろうか。

震災で消えた小さな命展
http://www.chiisanainochi.com/

2013年6月10日月曜日

「ことばのポトラック」から131,476円の寄付金をいただきました。



 「ことばのポトラック」ってご存知ですか?
ポトラック( potluck)の意味は「持ち寄る」ということ。
つまり、それぞれがそれぞれの言葉を持って集まることです。東日本大震災直後の3月27日、作家、大竹昭子さんの呼びかけで、サラヴァ東京(東京/渋谷)にて「ことばのポトラック」はスタートしました。昨日はその10回目。前回第9回の収益金をFORTUNE宮城にご寄付いただくことになり、私も参加させていただきました。



 今回のテーマは「
Get Back to The TV !
」。出演は大竹さんの他、テレビ記者・キャスターの金平茂紀さん、「父になる」で話題になっている映画監督・TVディレクターの是枝裕和さんでした。

 「ことばのポトラック」では、毎回震災に関わる話しをしているわけではありません。今回もTVについての話しです。2012年3月11日、あの震災は何かを変えました。金平さんがおっしゃっていた「元に戻ろうと思っても戻れない、修復しようと思っても修復できない切断点である」という言葉は心に残りました。それは、FORTUNE宮城の想いとも重なるところがあるからです。続くことがあたりまえだったことが、とぎれ、そこに居ることがあたりまえだった物、者、もの。それは人が当たり前に信じていた、意識や感覚さえもとぎれさせ、そのひずみに見えてきたもの、見えない何か、それに問いかけ続ける。「震災を風化させてはいけない」ということばはよく聞くけれど、それは「忘れない」というよりも「問いかけ続ける」ということの方が近いような気がします。

 今回の「ことばのポトラック」ではTVの”公共性”に目を向け、TV番組制作に関わる金平さんと是枝さんが、自らの振り返りを含め、TVの再検証とその可能性を問いかけました。
6時間に渡る濃密な時間のことはまた別の機会にご報告するとして、やっていることは別でも、ある意味同じ方向を向いている「ことばのポトラック」からご寄付をいただけるのは大変嬉しいことです。
 資金繰りの厳しい折、ほんとうに助かります。
 この寄付金は制作費の一部として、使用させていただく予定です。






そして、また一つつながりもできた。
問いかけを続けるとともに、紡いでいきたいと思います。
今後共、よろしくお願い致します。


「ことばのポトラック」のHPはこちら http://kotobanopotoluck.blogspot.jp/

ついにFORTUNE宮城のブログを開設ー女川報告より


 ついにFORTUNE宮城のブログを開設しました。
 
まずは6月2日。
女川に向かった。
FORTUNE宮城vol.5でもご紹介した「女川 我歴stoc(ストック)」を観るためだ。
南三陸町伊里前商店街の青空市を午前中手伝って午後出発。
いつものように車を運転していると襲ってくる睡魔と戦いながら どうにか女川に着いた時には既に終わりに近かった。

それでも、盛り上がりどころ満天。
ちょうどファッションショーが始まったが、これがなんともカワイイ。そんなタイプの人間ではないんだけど、ニコニコしながら思わずシャッターを押しまくった。






首都圏から来ている子供と女川の子共が出演している。
出てくる時は固い表情をしていても、みんなからの声援を浴びて思わずにっこり(ニッタリ?)。なんか、大人もがんばんなきゃ、という気になぜかなってしまう。

その後は、地元の「ハンサム判治大介」。大介さん率いる(?)ウクレレ軍団。出番を間違えて出て来てしまった子供たちに「ちょっとまってね、ちょっとまってね」と声かけしながら、初めからハイテンション。これもスゴいパワー。


我歴ストックの主催者「女川福幸丸」の代表、船長も出て来て熱唱。
みんなが嬉しそうな顔をしていると、こっちまで嬉しくなるもんですね。



周りでは皆、好きなことをしている。
店もだいぶ出ていた。お洒落な小物を置く店、マッサージ、ヨガ教室もあった。ギトギト光る豚バラとあっさりトマト、焼き牡蠣。今度は運転手を連れて行こう。
あちこちで、砂遊びをしている子もいれば、グラフィティに夢中になってる子もいる。人や自分が傷つくことじゃなければ、何でもOK







 石巻に住む知り合いを見つけ、牡蠣と豚バラを食べながら(ビールは飲めない……)話しを聞くと、震災後、無我夢中のうちに始まったこのイベントも、3年目に入ったいま、今後の展開を考えているという。資金繰りの問題もある。場所も来年は今の場所は使えなくなるらしい。
 でも、今年は去年よりさらに集客があったそうだ。伝統の獅子振りも今年は6団体が出演したそうだ。どんどん増えている。震災前の「女川港まつり」は町民皆が、誇りに思い、楽しみにしていた祭りだったそうだ。



 今は再開の見込みがたっていない港まつりだけれど、こんな力強い仲間がいたら、きっと再開できるだろう。
そして、観たい!けっこう祭り好きです。

 そうこうしているうちにフィナーレを迎えた。
 まったりした夕日を浴びて静かに暮れ行く。その中にも、またこの祭りを来年も続けようという福幸丸の面々の力強い決意はしっかり伝わってきた。



女川は、いや、女川も、まだ真っ平らだ。






 瓦礫処理場の白い塀が続くのをみると、まるでギブスをはめているようにも見える。傷が癒えるのにはまだまだ、時間がかかる。
被災地で自らが被災しながら、支援者としても活動する人と話していると、「モチベーションが下がる時がいちばんつらい」と言っていた。
ならば、少しでも外の風を送ろう。モチベーションが下がったときは、それを押し上げるような風を。ほんの少しの風でも、みなで風を送れば、福幸丸の帆もおおきく羽ばたくくらいに違いない。


編集長 河崎