2013年6月17日月曜日

犬と猫と人間と2ー動物達の大震災@ユーロスペース

 FORTUNE宮城vol.5で監督インタビューを掲載した「犬と猫と人間と2ー動物達の大震災」を観に行った。そして、考えてしまった。犬や猫が人の友達として、家族として大切にされているという話しはよく聞く。私自身は、動物嫌いではないが、”ペット”に関しては複雑な思いをもっている。でも、この映画はそんなものを超えていた。


 初めは猫や犬と人が震災を期に家族として結ばれたり、引き裂かれたりする姿を追う場面から福島で放置されたペットや家畜を救出する様子へと展開していく。野に放たれた肉牛がまるで元からそうだったようにのどかに草を食べてるかと思うと、おびえながらも餌にむしゃぶりつく犬や猫たち。そしていたる所に動物の死骸が転がる。放置された牛舎に広がるミイラ化した屍や骨はまだしも、糞尿にまみれながら生死の堺にいる牛。涙を流している牛もいる。「牛が涙を流すというのを初めて知った。」監督のナレーションがはいる。
 福島第一原発二十キロ圏で被ばくした牛の世話を続けている「希望の牧場・ふくしま」の代表、吉沢正己さんは、「誰も間違ってはいない」という。放射能汚染を避けて、避難した人、近隣を荒らすと言われながら牛を野に放った人、殺処分を決めた人、自らも被爆し続けながら被爆した牛を飼育し続けている吉沢さん、それらに正解は無い。希望の牧場でも人手が足りず、力の弱い牛はやせ衰えていく。家畜としての価値がない牛をいつまで飼育できるのか、それが不可能になった時どうするのか、先は見えない。
 ”人間の尊厳”という言葉はよく聞くが、経済動物には尊厳は無いのだろうか。愛玩動物にしても、経済動物にしても、人から餌をもらって生きるように作られてきた動物に対して、私たちは責任は無いのだろうか。答えをすぐ出せるわけではないけれど、問い続けることは必要だ。自分がその場にたったらどうするのだろう?
 この映画は動物愛護を訴えるものではなく、人に「生き物としての尊厳」とは何かを問う映画ではないかと思う。



 
 なかなか重い映画ではあったけれど、終わったあと、宍戸監督の挨拶があった。監督はきわめて爽やかな好青年。着ぐるみ「原発ゼロノミクス」のキャラクター、ゼロクマくんもが出て来て、来ていたこどもも「顔がみえるー」「9歳だって!」となんだか、あけすけな言葉が出ていた。親に連れられて来ているこどもたちは、原発だとか、尊厳がどうだとか言われてもよくわからないだろう。彼らがその意味がわかる頃には何か変わっているだろうか。

震災で消えた小さな命展
http://www.chiisanainochi.com/

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