2013年7月27日土曜日

雨の南三陸町で輝く

  7月25日。今ひとつ晴れない天気の下で、輝いている若者たちがいた。
群馬、東京、志賀、広島から集まった小学生から高校生14名とジュニアリーダー「南三陸町ボランティアサークルぶらんこ(MVCぶらんこ)」の6名の中高生だ。

22日から始まった全国子ども会連合会が主催する「3.11の経験から学ぶ体験交流会@南三陸町」の現場での最終ワークショップだ。



まずはMVCぶらんこが志津川の町歩きを先導する。
さんさん商店街→防災対策庁舎跡→(ぐるっと川沿いを歩いて)→志津川中学校→さんさん商店街。


献花、黙祷
防災対策庁舎では大勢の町の職員が命を失ったという話しを聞く。


初日の自己紹介では「人に誘われたから」、「おかあさんに行ってこいといわれたから」、「4泊5日が魅力だったから」等と照れくさそうに言っていたが、いつの間にかまっすぐ前を見つめている。










 八幡川は今にもあふれそうだ。(多分、26日の雨であふれただろう……)
「普通」ではない。






八幡川を超えて、ぐるりとまわり、志津川中学校へ。




大人は見ただけで嫌になってしまう。が、子供たちは平気で登っていく。
志津川の中学生は毎日この道を登っていくのだ。

津波災害の心配がない町から来ている子どもにとってはとても不思議なことだろうが、ここの子供たちにとって当たり前のことである。どこの小、中学校も高台にある。それでも、津波をかぶってしまったところもある。

志津川中学校の中には戸倉中学校もはいっている。




雨と霧でよく見えないが、ここからは南三陸町を一望できる。






ぐるっと一回りして落ち着いたところで、メインのワークショップに入る。



「1人じゃできないけど、みんなでできることをみつけてみよう」

スタートは今日一番心に残ったことから。
発想を広げていく。
 例えば、スタートが「タコ」だとしたら、私達ができることは、「たこを沢山食べること」。すると、「消費拡大」につながる、すると……と言った具合だ。それをどんどん広げていく。
そして、最終目的をみつける。



アイディアを出し合う。



組み立てる


そして、大きな目的まで行き着く。

大人はどうも、漢字が多くなる。このワークショップが見ているものは、「目的」を見つけることじゃない。プロセスが重要なんだ。ということは、頭じゃわかっているんだけどね。

子どもの発想はもっと柔軟だ。
例えば、こんな具合。

ワカメ→海をきれいに使う→ワカメがいっぱいできる→ワカメを買う人が増える→サザエさんのワカメちゃんが有名になる→フジテレビがもうかる→フジテレビが南三陸町へ来る→注目度up→募金が来る→復興→ワカメパスがゆるきゃら業界を支配する。

かなり、跳ぶところもあるが、そんなことはどうでもいいのだ。




全国から集まって来た子供たちが一つの場に集まって話しをする。
それがなぜ被災地、南三陸町だったのか。



南三陸町は震災によって多くの試練を与えられた。でも、同時に、沢山のチャンスも与えられた。この平になった空間に、何をつくっていくのか。。。人の目は集まる。そして開拓者らも集まる。

復興を急ぐ声は高い。誰もが「日常」を取り戻したいのだ。特に今までここを守って来た人々は。しかし、次にここをつくっていく人にもこの場をつくりあげていくチャンスを与えてみたい気もする。


by kyon




2013年7月6日土曜日

小泉(気仙沼市本吉町)を歩く2

6月22日の午後は人数も増えて、陸を中心に歩いた。
お昼は瓦礫処理場の前にある「粋膳(すいせん)」で食事をしながら、高台移転の話しを聞いた。



購入:「小泉の明日を考える会」HP


小泉では震災直後から協議会「小泉の明日をつくる会」ができ、高台移転の話しがいち早く進んでいる。昨年は移転先の街並みの景観を統一化するため「街づくり協定」を運用する株式会社をつくった。
高台移転についての詳しい情報は
「大好きな小泉を子どもたちへ継ぐために―集団移転は未来への贈り物 」
にまとめられている。




食事のあとは、いざ、目の前にある瓦礫処理場へ。





小泉地区の瓦礫処理場は中に入ることができる。
ここの守衛さん、とても親切だった。女子が多かったからなのか。。。

広い


広い


働いている人もなぜかあいそがいい。手を振ってくれる。



そして、ここにはコミュニティセンターがある。共同浴場もある。ネットカフェもある。
しかも、コーヒー無料。


風呂屋。でも、女子の日と男子の日が交互にくる。気をつけてください。


インターネットも使える

宮城県が出す「復興現場の歩き方」観光案内だ!!


コーヒーなんて出してくれるから思わず長居をしてしまったが、さて、次へ。



 こここは津波前つながっていたそうだが津波によってごっそり削られた。
それも、ここは地層が隆起しもともとつながっていなかったところに土が堆積し一つの小さな山になっていたそうだ。
地質学者とかマニアとかいろいろな人がここを見に来るらしい。

両側地層が違う
 

左側の山には元々社があったが、いつの間にかだれかが右側にも社を置いたらしい。



小泉小が見える。多くの避難者がそこで暮らしていた。震災前はこの間に町が見えていたが。もう無い。
反対側には瓦礫処理場。
この瓦礫処理場も今年中に仕事を終え、全て撤去される予定だという。
瓦礫はどこに行くのか、また、撤去されたものはどこにいくのか、そういえば、何もしらない。



防潮堤のことにしろ、瓦礫処理場のことにしろ、まずは知る事からはじめないといけないと改めて思う。






小泉(気仙沼市本吉町)を歩く1

6月22日のことです。(遅くなってごめんなさい)

小泉には何度も足を運んでいたけど、海岸を歩くのは初めて。

今日は小泉地区に住む阿部正人さんに小泉を案内してもらう。午前中は「小泉cool なおやじの会」午後は「RQ災害教育センター」のツアーということ。どちらにせよ、阿部正人さんが講師だ。

赤いジャケットを来ているのが阿部正人さん


阿部さんが着ているのは南三陸町のジャケット。
阿部さんは南三陸町の小学校教諭でもある。
小泉の40代、50代の人は「シーサイドパレス」で結婚式をあげたという人がばかり。一つだけ流されないで残っているはその建物だ。このさき200mまでは陸が続いていたという。そばにはボーリング場もあったというが、すっかり流されている。
その代わりにあるのは、ひろ〜〜い砂浜。
実はこの砂は震災後に帰って来た砂だった。昭和40年代に町が砂浜を広げる計画でテトラポットを海に入れ、砂浜ができ易い状況にしたということだ。

ここで、まずやったのは建設予定の防潮堤の大きさを計るワークショップ。
小泉地区には高さ 14.7mx接地幅90mというスーパー防潮堤の建設が計画されている。

底辺をメジャーで計ってみた。写真の中に立っている木片はちょうど中心くらいになる。
高さは旧シーサイドパレスの高さよりも3mくらい高くなるらしい。人が立っているあたりが始まりと終わりだ。




中には、走ってみようという輩も。。。。




結果は敢えて言わない。。。。

遠くから見ると、こんな感じになる。


これが新しくできた砂浜の上にこの大きさのコンクリートのピラミッドが連なるわけだ。
14.7mx幅90m。数字でも大きいのはわかる。でも、実際の場所で計ってみるとその大きさに体感で圧倒される。
その後は新しくできた浜と干潟を見て歩いた。
これは石を溶かす不思議な貝


ここら辺はずっと田んぼが広がっていたらしい。
いまは塩水に使っている。

かにの穴がそこらへん中にある。

干潟も帰って来た。黒い点は全てタニシ?とにかく生きものだ。

牡蠣もいる



生だけでなく、時には死と直面することもある。




小泉の浜は豊かだ。


私たちがツアーをしている間、気仙沼復興協会(KRA)さんが多くのボランティアさんを引き連れて海岸清掃をやっていた。そうやって、清掃もされている海岸。
今の子供たちが大人になった時に、子供たちはまたこの海岸の自然を満喫することができるのだろうか。