2015年7月15日水曜日

市民がつくる町の未来ー「わらすの"わ"未来会議」(気仙沼)


79日、気仙沼湾を臨む高台にある紫会館で「わらすの""未来会議」が開催された。集ったのは、気仙沼市で子どもに関わる活動をしている個人や団体に所属する27名。「わらすの""」は、震災後、子ども支援に関わってきた仲間たちのつながりから、「子どもを中心に地域の事を話せていけたら、それだけで気仙沼が変わるのではないか?」と、2014年春に有志で結成されたネットワーク。この一年、気負わない形でワークショップや勉強会を続けてきた。


「わらすの”わ”」のメンバー、底上げの成宮さんより「けせんぬま創生戦略会議」について

そして、今年、2015年6月、気仙沼市は、人口減少対策と地域の活性化を目的とした「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定するための総合戦略の検討、検証をする場、「けせんぬま創生戦略会議」を設置した。「仕事」、「定住・交流促進」、「子ども・結婚・福祉」、「地域づくり・教育」という4つの分科会が設置され、10月までに具体的な施策の企画・立案を行う。http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1430459144033/index.html「わらすの""」のメンバーも少なからず委員として加わることになった。時間制約は厳しいが、この機会に、多くの人の声を市の施策に取り入れたいと広く声を集めようということになり今回の未来会議が開催された。参加者は気仙沼市だけに限られず、FORTUNE宮城は登米市から参加。南三陸町からも参加があった。高校生の参加もあった。

「まち・ひと・しごと創生総合戦略」には4つの基本目標がある。
1地方における安定した雇用を創出する
2地方への新しいひとの流れをつくる
3若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる
4時代に合った地域をつくり,安全なくらしを守るとともに,地域と地域を連携する


この会が設けられた経緯が説明されてから、少々スパイスを利かせた「しりとり」で場が和んだあと特別なテーマは授けず、「こんな気仙沼であればいいな」ということを話そうと8グループに分かれて始まった。途中一回、メンバーチェンジがあった。どちらでもまず出てきたのは、子どもの遊び場の問題だった。

小グループに分かれて話す



被災地沿岸部は今どこも急ピッチで工事が進められており、車通りも激しく、子どもを自由に移動させられる状況ではない。校庭も仮設住宅で使えない場合も多い。しかし、それだけではないのではないか、という声もあった。「子どもが外で遊んでいる姿を見ない」「部屋の中でゲームをしているのではないか」「ゲームは面白くできている」「大人は外遊びのおもしろさを伝えられていない」「車社会の弊害ではないか」などの意見もあった。
やはり一番は、子どもの遊び場の問題。漁業の町なのに魚が高い!との声も……

「住みたい人のための家が無い」と深刻な住宅不足への不満も出た



被災地沿岸部ではどこも工事が急ピッチで行われている。トラックもひっきりなしで行き交い、歩道も確保されているところは少ない。しかし、原因はそれだけだろうか?考えてみると、子どもだけでなく、大人もあまり外を歩かなくなった。以前は、歩いたり自転車で行ける範囲に小売り商店があり、そこがコミュニケーションの場にもなっていたが、今は移動はほぼ車。子どもが友達の家に遊びに行くのも親が送り迎えをする。校区外に子どもだけで遊びに行ってはいけないという学校の決まりもあるらしい。「不審者」というひと昔には無かった不安要素も出てきた。

大人がつくってきた管理社会に大人自身も苦しめられているような気もしてくる。
住む家が無いという問題も同じように出ていた。

被災地では、こうやって地域の人が集い話しをする機会が他地域に比べ断然多い。規制のものが壊れてしまったからだ。
課題の元を追求していくと、震災が原因のこともあるが、実は震災以前からの問題だったということも多い。震災以前からの問題だからといってそれを放置しておくことはできない。これから多大なエネルギーと資金を投入してつくる新しい町は、100年、200年、その先も持続可能な町にしていこうと、話し合いは重ねられる。役員の一部は18歳以上〜40代と若い層に絞って公募で決められたようだ。

様々な問題が震災を契機に表面化した。この機会をぜひ市民の手でプラスに変えて欲しい。そこには日本全体を変える鍵があるかもしれない。


by 河崎清美


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