2015年5月7日木曜日

田んぼに入る


鋤、鍬、スコップで土を掘り起こし、かたまった稲の根を砕く。慣れない手つきで手にマメをつくり、合わない長靴で土に足をとられる。すぐに足腰が痛くなり、座り込みたくなる。いかに普段体を使っていないかがよくわかる。
土手の草の上に座って吹き抜ける風に身をまかせ、あたりのカエルの声を聞きながら、なんだか安心で幸せな気持ちになっている自分。私にとって自然が遠くなっていたのにも気付かされた。





昨年度から南三陸町で、参加者がお米づくりに関わり、その米でできたお酒で交流する「おらほの酒造りプロジェクト」(https://www.facebook.com/orahonosake?fref=photo)がはじまった。今年はさらに休耕田を活用するプロジェクトは広がり、南三陸町内外のいろいろな場所の田んぼでお米をつくって、食べ比べをしようという新企画も始まり、田作り、稲づくりから参加させてもらっている。

4月29日、集った大人6名が汗を流しながら田を起こしていると、通りがかりの人はたいていめずらしそうに眺めていく。大人6人がかりで3時間程使って田起こしをした田んぼは結局、土の塊が大きすぎるということで、最終的にはトラクターに入ってもらうことになった。仕事の効率は非常に悪い。機械が無い時代はどうやっていたのだろうかと思ったら、牛や馬を使っていたそうだ。或は冬も水をはって、土を固めない方法もある。いわゆる「冬水田んぼ」(注1)と言われる農法である。

赤いトラクター




作業効率的には全く無用だと思える手作業による仕事も、参加した一人一人にとっては、お土産になるものもある。田の畦に座ってそよ風に吹かれる経験、共に汗をかく喜び、田んぼや稲の生育への興味、収穫する楽しみも味わえる。
肥料は手撒きで。
肥料はまるい


最近、「農」と「農業」という言葉が使い分けられていることがあるということを知った。
比較的新しい対比の仕方のようである。
言葉の定義はまだ確立されたものでもないようだが、「農」は、作物をつくること自体であり、そこには「生きる」ということも土と触れ合うことの喜びといった哲学的な視点も含まれるようだ、「農業」は、利益を生むことを目的とする産業、という意味あいがあるらしい。なんとなく、わかるようなわからないような……。
ネットで「『農』と『農業』」を調べてみると、頭の方にでてくるのが、「第15回明治大学ホームカミングデー 特別対談(中沢新一X佐倉朗夫)」(注2)の動画だ。対談の内容は、日本の産業としての農業は破綻している。視点を変えて「農」から生まれる産業を考えるべきではないかということ。興味のあるかたは動画をご覧下さい。下にリンクをはりつけています。

なんにしても、ここには、山があり、川があり、海があり、里がある。昔使われていた農機具もけっこう残っている。自然とのふれあいも、農業の歩みを学ぶ機会もある。そして、一番重要なのは、それらをつなぐ人がいるということ。

今、田が起こされ、水入れが始まり、カエルの合唱も聞こえて来ているが、一ヶ月後にはどこもかしこも若い緑で覆われているだろう。カエルだけでなく、どじょうやザリガニ、も出てくるらしい。田んぼの生き物観察会をしたいとの声もあがっている。まだまだプロジェクトは展開しそうだ。


水が入ったとたん、かえるが鳴き始める。アメンボもヒルも泳いでいる。

虫たちをいただこうとウミネコも来る。





注1【冬水田んぼ】
米が生育しない冬でも水を張る米栽培の方法。詳しく説明されているサイトがあったので、リンクする。
「蕪栗沼(かぶくりぬま)ふゆみずたんぼプロジェクト」http://kabukuri-tambo.jp/about-fuyumizu/

注2【第15回明治大学ホームカミングデー 特別対談(中沢新一X佐倉朗夫)】
リンク→ www.youtube.com/watch?v=jdpTksnvAG8



































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