2015年5月10日日曜日

カルタで見える石巻の風情


 ゴールデンウィーク最終日の56日、石巻グランドホテルでカルタ大会が開催された。
少し遅れてドアを開けると、真剣に向かい合う二人が3組。既に対戦がはじまっていた。
「『ずよう』ってわかる?ずようきょうそう(滋養強壮)の『ずよう』だからね!」読み手の女性が語ると、会場に笑いが起こる。
話されることばは、仙台弁。東北のひとだったらわかるところも多いだろうが、西から来た人間には全て理解することは難しい。





カルタも箱も袋も全部手づくり

このカルタ大会の主催は自由大学「東北復興学」メンバーを中心にした「石巻カルタ制作実行委員会」。発起人は石巻出身、東京在住の浅野郁美さん。
浅野さんの石巻の実家は津波で流され、ご両親は震災後、仙台市に移り住んでいる。
「震災後、どんどん変わって行く石巻を見て自分が取り残されて行くような気がしたんです。」と語る浅野さんは、「石巻の人が知っている石巻を石巻の人と共有したい」と思ってこの企画を考えたという。


発起人の浅野郁美さん(左)とイラストを描いた高橋奈保子さん(右)「人とつながることでここまで来れました。」と語る二人。


「東北復興学」のメンバーを中心に立ち上がった「石巻カルタ制作実行委員会」には心ある仲間がつながり、2年をかけて、カルタが完成した。文言のネタは、郁美さんの友達や知り合いに声をかけたり、石巻出身者を中心に大森(東京)で開催されている「石巻マルシェ」で「あるあるを集める集い」を開催して集めた。カルタは一枚一枚、手づくり。決まり字(最初の文字)は消しゴムはんこでつくり、イラストは友達に紹介され参加した美大出身の高橋奈保子さんが描いた。高橋さんは震災後の石巻しか知らないので、イメージしにくいものも多かったが、何度か石巻を訪れ、地元の人の話を聞いたり、元存在していた場所に自らの足を運んでみることによって、ようやくイメージがつながって来たという。
実行委員会のスタッフは、忙しい仕事の合間を縫っての制作だった。

「上映中『お電話ですよ!』岡田劇場」、「ちりんちりん 市民プールで なぜか大福」。
文言が読まれると、「やってた。やってた」、「そういえば、大福売ってたねー」などと周りで観戦している人々からも声があがる。
「おらいも おだくも あべ、あべ、あべ(阿部、安倍、安部)」、「運動会 空にはためく大漁旗」、「んだ んだからー んだがらっしゃー!」。
町の小ネタは、地域の特色、習慣、独特の言い回しが文言の中に含蓄されている。そこには、気取らない人々の日常のいとなみ/文化が見えてくる。「昭和」という時代を感じさせる要素もある。そして、それは不思議と石巻出身でない者にも、田舎に帰って来たような懐かしさを感じさせるのだ。

手づくりのカルタ。決まり字(最初の文字)は消しゴムはんこで一つ一つ押した。
紙を貼るのも手づくり。


カルタの文言は全て解説つきで壁に貼られている














解説がまとめてある冊子も手づくり











 
石巻と東京、東京と東京、石巻と石巻、人と人をつなげ、多くの思いがつまったこのカルタは、時をも超えて人をつなぐ。ゲームとして楽しめるだけでなく、時空を超えて思いをつなげるツールにもできる。皆でカルタ大会をするのもよし、一つ一つてにとってみるのもよし。

「欲しい」という声もあがっているそうだが、今のところ、増版予定はまだ無いとのこと。一つには、一枚一枚、手づくりでつくっているため手間ひまがかかるということ。そして、資金的な課題も大きい部分を占めるという。

楽しみながら、震災前の石巻の風情を伝えられるこのカルタ、ぜひ、多くの人に知ってしい。いずれにしても、これからの展開が楽しみである。

by 編集長 河崎清美

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